ミツバチ生活への道~英会話・音楽ライブ・映画~ -42ページ目

女たちのジハード

日本テレビ系列のドラマ『anego』(篠原涼子主演)を見ています。

娘に「原作が林真理子だから、お母さんも楽しめるよ!一緒に見て!!」との厳命をうけたからです。

私は日ごろ、殆んどテレビドラマを見ません。途中にCMが入るのが苦手なのです。


それなのに、娘は私とテレビを見るのが大好き。

「この中で誰がいいと思う?」「○○?やっぱり!」とたわいもないことを言い合って、盛り上がります。

彼女と私は好みが一緒なのです。

食べ物、服や靴、小物。同じものをいいと感じます。


ですから娘の服を買いに行くのは、私の楽しみの一つでもあります。

同じ服に視線を向け、うなずき合います。

気に入るけれど私には着れない流行の服を、娘が着て私も大満足。


同じ過ぎて困ることもあります。

私が携帯を変えた後、娘も新しく買うことになりました。

「どうしてもこれがいいけど・・・お母さんと同じなんてやだぁ」と店頭で駄々をこねます。

結局、私と同じ機種、色の携帯を買いました。


話はそれましたが、そんなわけで久々のテレビドラマをみているのです。

結婚に対する悩みと駆け引き・・・私が大昔に卒業したテーマです。

当時を懐かしく思い出しながら、見ています(笑)


同じテーマで私が好きなのは『女たちのジハード』 (篠原節子・集英社)。

この作品が直木賞を取って話題になった時、すでに結婚して子供2人を抱える主婦でした。

でも、自分や友人の青春を思い起こしつつ、すべての疑問に回答をもらった気がしました。

以来、仕事や結婚に悩む人には、一読をお薦めしています。

きっとその後、このテーマに関してはさらに素晴らしい作品が文壇に登場していることでしょうが、私の関心は他へ向いていて、この作品でストップしています。


結婚=ジハード

う~ん、未婚の方には言いにくいのですが、この方程式にはまだ続きというか、第2ステージがあって・・・

まあ、家同士の結びつきだの、意識の違いだの皆様とうにご存知でしょう。


意外な落とし穴が、学校の役員!

幼稚園まではかなり余裕です。時間の余裕を手に入れた人たちが結構楽しみながらかかわっています。

これが、小学校になると、もう、悲惨!

役員決めには、暗くおも~い空気が漂います。

気持ちがすさんだまま、くじ引きに突入し、なんとかその場は終了。


さらに、役員になった人が集まって、会長、副会長決めがあるんです。

これがクライマックス!!!

「いかに自分は出来ないか」と切々と語る一方で、聞く耳持たないと返す冷たい視線!

怖かったです。息子が1年生に入学したとき、初めてそんな修羅場を見ました。

『それって、人格否定じゃないですか?』的発言続出・・・

そして、そんな人たちが、協力して1年活動していくのです・・・

まあ、やってるうちに気心が知れてきて、最後は結構仲良くなったりしますけど(笑)


さてさて、この私、今日も学校へ行ってきました。

1年分すでに行きましたよ、この4月、5月で。

この分だと学校中の先生の顔と名前を覚えそう・・・。

同窓会幹事

久々の同窓会を計画中です。

大学の時のゼミの集まりを、なんと卒業以来毎年3月にやってきました。

それが、大事件、この2年間なかったのです。ゼミが一緒だった由香ちゃんなど、電話のたびに「福岡支部だけでコッソリやってるんじゃないの?」と疑心暗鬼です。


支部も何も、もともとたった13人のゼミで、由香ちゃんだって北九州とはいえ、福岡県内じゃないですか!

それに、貴方がこなけりゃ、同窓会は始まりませんよ。皆勤賞もらってるんでしたっけ?

かく言う私もなかなかのものです。息子(1月)と娘(3月)を生んだ年の同窓会は休みましたが、その他は全部参加しております。

いやはや、その熱心さを授業に向けてほしかったですね。


ゼミは、S先生を気に入って決めました。

先生は著作の多い方で、学校の図書館の米文学評論の棚にもずらりと並んでいました。

文芸部の研究会のレジメを書くとき、かなり使わせてもらいました。(純文学 VS 動物行動学 参照)

3年生の時に、『日米比較文学』の講義をとり、アーサーミラーと三島由紀夫の比較が記憶に残っています。


でも、ゼミでの内容はぜんぜん違っていたんです!

ソローとエマソン。spirit poem アメリカの心なんですって・・・ふう~ん。

勉強しない私も悪いでしょうが、ちっとも面白くなかったです。難しいし・・・

毎回、先生からの死角になる席をめぐって、由香ちゃんと醜い争いをしていました。


他の人もそこまで気合が入っているようには、見えませんでしたね。

先生のお相手はもっぱら交換留学から帰ってきたばかりのS君と、いま大分で高校の先生をしているNさん。

ダレダレのゼミでした。


なのに、夏のゼミ旅行でみんなの心は一つに!

与論島に行ったんです。

なぜか、凄く楽しかった。お揃いのTシャツまで作って。もちろん先生も着てくれましたよ。

I ちゃんがサメにかじられた話、Aちゃんのありえないダジャレ、私が自転車に乗る姿は、殆んど島の人に見えた話・・・毎年の同窓会で繰り返し繰り返し話しては、笑いあいます。


その時作ったTシャツ、まだ持ってるんです。

いつかの同窓会で話題になったら、殆んどの人が処分できず、持ってましたね。

旅行はクラブでも毎年合宿と称して行ってたんですが、そこまで思い出に残るものでもありませんでした。

やはり、つらいゼミの授業を共にした同士愛が、ここまでの絆になっているのでしょう。


同窓会はフランス料理のコースを前に、先生のお話が30分。

お店の人がワインをもって、後ろでずーっと待っていたこともありました。

その後、みんなの今の研究テーマ。それぞれに、発表していくんです。


私は世間的にはそんなに早い結婚でもなかったのですが、ゼミの中では早いほうで、子供もうちの息子が一番年上。

学校の先生が多くてアカデミックな雰囲気のなか、私のテーマは『離乳食とオムツ外し』

疎外感も感じましたが、1年に1度だけ向上心を刺激される大事な時間でした。


先生が体調を崩され、前回、前々回と同窓会におみえになっていません。

やはり、盛り上がりに欠けます。

2年の空白はそのため?

いえ、いつも会の終わりに次回の幹事を決めるのですが、男性陣を指名したため誰も音頭をとらず、のびのびになっているのです。


ゼミ同窓会存亡の危機!

私と千恵さんが雄雄しく立ち上がりました!

遅くとも今秋には復活させようと、お店情報に心を砕いています。

・・・また、ランチってことですね(汗)

親子でブログ

こりんごさん 今日もコメント、トラックバックありがとうございました。

私のブログに、こんなにご親切にしてくださる方は、こりんごさんだけでございます!ペコペコ。

こりんごさんのブログは人気で、私がここで説明しようとすると「知ってる、知ってる。だって彼女のブログ読んでその後ヒマだから、tomatomaさんのところにきたのよ」という皆さんからの返事が返ってきそうです。

その意味でも、極東の地で日々感謝しております。


先日息子が「面白いブログ見つけた。シンバルが割れてる写真見て笑ってたら、コメントの欄にtomatomaの文字を見つけて、慌てて別のページにとんだよ」と言っていました。

転身、なんたってミュージシャン のことですね。いや、あれには私も笑っちゃいました。

いえ、そんな呑気なことを言ってる場合じゃありません。


実は、息子は音楽、娘は恋愛のジャンルで、このアメーバにブログを書いています。

でも、不可侵条約を結んでいて『お互いのブログは見ないようにしようね』と約束しているのです。

だって親子でブログを読みあうなんて、かなり恥ずかしいじゃないですか。


だけど、息子と私はIDにいつも使っているハンドルーネームを流用しているので、知っているのです。

tomatomaは「バンドを組んだ時に備えて、今からバンドネームをかんがえておこう」と、ミーハーな動機で、1年前に思いついたものです。

バックのミュージシャンの人は、リオリオ(息子の好きなコブクロのバックのキーボーディスト)など、音を重ねた名前をつける事が多いようですね。


娘の好きなトマト→トマト→tomatoma 

しかしなかなか使うチャンスがないので、以前ご紹介した毎日こつこつeTango のニックネームとしてつかっていました。

苦節1年、やっと日の目をみました(涙)


ブログを作って大威張りで宣伝した相手は、ベースのK先生です。

先生はいい方なので、きっと一度ぐらいは見てくださると最初からアテにしていました。

ヒロちゃんは微妙でした。

「私にもアドレス教えてね」と言うのですが、私の日常を熟知している彼女がブログに何を期待できるのでしょうか?

だって1日に5通はメールを出し合うのですから。

ですが、今は毎日読んでくれるありがたい読者です。


それから、飛んで火に入る夏の虫も2匹飛んできました。

大学時代の友人2人が偶然電話をかけてきたのです。

しかも「最近どうしてる?」と聞きます。まるで、私のブログを嗅ぎつけたように。

お言葉に甘えて、ちゃっかり宣伝させてもらいました。


それでも私のブログは、まだ始めたばかりなので訪ねてくれるお客様が少ないです。

(同時に始めた息子のブログは千客万来だということは、無視しておきましょう)

ところが、これまで2回だけ息子の訪問者数に肉薄することがありました。


1度目は純文学 VS 動物行動学 のときです。みなさん動物行動学に関心がおありなんですね。

これで、竹内久美子信者がまた増えそうです。

・・・でも、まさか・・・

「月9 不機嫌なジーン」を検索して、私のブログをうっかりクリックしたわけじゃないですよね・・・


次は少数派の魅力 のとき。

やはり・・・。皆さん『のだめカンタービレ』を検索し、勘違いして私のブログにきてしまったんです。

ごめんなさーい!紛らわしい話の絡ませ方で。

でも、リックの話は感動的だったでしょ!?

えっ、そんな問題じゃない?


では、お詫びに今度リアルのだめ(漫画を読まれている方はご存知、のだめのモデル)探しの旅をリポートします。

なんと親友のヒロちゃんは、大川リアルのだめさんがピアノ教室を開いているそうです)のそばに住んでいるのです。


「夏休みにリアルのだめ探しにいこう」と誘われています。

『そんな雲をつかむような話』と聞き流していましたが、いま決意しました。

いつの日か探検談を書きます!


そういう訳で、ヒロちゃんよろしくねっ!

You've got mail

わたくし、4月に娘の中学校のPTA役員のくじを引き当ててしまったせいで、先週、今週と珍しく多忙な日々をすごしております。

夜でかけるのは、子供の塾の送り迎えとごくたまにライブを見に行くだけの、品行方正な一般主婦が、連夜家を空ける生活です。

昼はひるとて、今日も学校、明日も学校!


そんな激務をぬって、英会話教室に行ってきました。

今日はガーデニングの話が盛り上がりましたね。

ポール・アンカ で既出のMさん、花につくダンゴムシに悩んでいて、おまけに辞書でひいても英語でなんと言うかわからないと、二重のお悩みでした。

先生の答えは、potatobug


私もかねてからの疑問を質問

herb  ハーブのことです。発音はhが黙字になってアーブ・・・と思っていたのですが、以前習っていたアメリカ人の先生はハーブ、辞書にもアーブの発音の後にハーブ

おいおい、どっちでもいいんかい!?

今日聞いてみたら、先生は自信を持ってアーブ!

不可解さは残りますが、当面アーブで生きていきます。


しかし、虫や鳥、花など日本語さえも知らないものがたっぷり。

興味の幅を広げ、単語の幅も広げようと心がける今日この頃です。


それから、もう一つの話題はチャットやメール用語。

我が家でも子供達がチャットしたりするのですが、私はやったことありません。

以前習っていた日本人の先生に、「英語の勉強になるわよ」とすすめられたこともありますが、日本語でさえついていけそうにないのに、英語のチャットなんて。


日本語のチャットにも独特の用語があるようですね。

話題になった『電車男』(中野独人・新潮社)、子供達は面白かったといいますが、用語についていけなさそうで、敬遠しています。


英語もチャットやメールでつかう略語があるようです。

IMO=in my opinion 私見ですがとか、私のつまらない意見ではございますが

LOL=laugh out loud 大声で笑う、大笑い、ww(←息子から仕入れたネタ)

そのほか、面白かったのは日本語での顔文字のにっこりが横を向いて「 : )

知らなかったな。


ところで、メールで思い出すのはトム・ハンクスとメグ・ライアン主演の『You’ve got mail 』

好きで、10回は見ましたね

でも、気になるのが邦題になったとき、『ユーガットメール』  ちょっと落としすぎじゃない?

他にもちょこっと削って邦題にしたのが沢山ありますね。

原題を変えないように最近は厳しいと聞きますが、英語に言い換えるとき困るよ。


映画の話題をするときには、原題を前もって調べておかないと言えないし、通じないですね。

香港映画で『ラブソング』と言うのがあります。

カナダ人の人と話をしていて、どうもお互い同じ映画の事を話しているようですが、果たして他の国でも『ラブソング』でいいのか自信がなくて、テーマになっている曲を歌ったことがあります。


中国人の人名なんかも日本では勝手に日本式漢字でよんで、英語に直す時苦労したりしますよね。

固有名詞はできるだけ原語にちかい音を覚えていたほうが、応用がききそうです。

少数派の魅力

『のだめカンタービレ』 (二ノ宮知子・講談社コミックス)にはまっています。

滅多に漫画を読むことのない私ですが、ヒロちゃんの一週間にわたる[のだめ読んでみて!絶対面白いから!!]のメール攻撃を受け、しぶしぶ第1巻を手にしました。


いきなり、面白かったです。私の苦手な恋愛至上主義少女マンガではなく、笑える中にもふんだんにクラッシック音楽の知識が織り込まれていて、勉強になりました。

すでに人気で、知ってる人は知ってるでしょうが、音楽好きで知らないあなた、ぜひ読んでみてください。

いつの間にか、私もすっかりのだめ宣教師に・・・(汗)


しかし、12巻の発売日は13日なのに、近所の書店に問い合わせると「16日の入荷予定になっております」

そうなんです、地方は雑誌などの入荷も数日遅れるんです。

そこんとこ、どうなのよ、東販、日販さん!!

いえ、出版社の方々!!

先に地方にまわしておいて、発売日に一斉に店頭に並べるぐらいの気配りは出来ないのでしょうか!!


・・・すみません、つい興奮してしまいました。話を元に戻しましょう。

のだめは、一度聴いた曲を耳で覚えて弾けるという、天才ピアニストです。

先日、純文学 VS 行動学 でもご紹介した『4日間の奇蹟』(朝倉卓弥)にも、のだめのように一度聞いた曲をピアノで弾ける少女が登場します。


彼女は脳に障害を負っています。

障害・・・違和感を覚える言葉ですね。何に対する障害なのでしょう?

それは、本当にしなければいけないことで、そのやり方でないと駄目なことなんでしょうか?

健常者と障害者。単に多数派と少数派だけのことだと思います。

99パーセントの人たちのやり方に無理に合わせなくてはいけない、少数派はつらいですね。


でも、音楽の世界でも少数派のやりにくさを努力で克服し、世界的な賞賛を浴びている人は沢山います。

Rick Renstrom もそのうちの一人です。

『YOUNG GUITAR』 2004年3月号に「常人には到達不可能なレベルの技術を身につけた奇跡のギタリスト、リック・レンストロム。努力と精神力の賜物としか言いようがない超絶プレイ」と紹介されています。


彼は両腕にハディキャップを持っていて、左右とも寡指状態です。

とくに左手には指が3本だけです。湾曲した右腕、3本の左指。

5本ずつの指を駆使しても思うようにベースを弾けない私には、信じられない世界です。

彼はギターを始めようとした時「お前に出来るはずがない」と言われ、逆に発奮して「ただひたすら、一日6~8時間ギターの練習をした」そうです。


ベースの練習をしていて難しいとか出来そうにないと思ったとき、いつも彼の言葉を思い出します。

『そうだ、出来ないなんて言葉はリックのように、毎日8時間練習した人だけが言っていい言葉だ』

私は、幸運な事に出来ないと思うことはありません。

まだ、十分な練習が出来てないだけです。


少数派は生き抜くのが厳しいけれど、リックのようにある線を越えたときから、少数派であることが大きな魅力となり人々の心を捉えます。

私の精神面での音楽の先生はリック・レンストロムかな。

レスリー・チャン

最近のブログ(それなりの理由② )で、『香港、広東語、香港映画』と書き連ねてしまい、いつも心の奥にある悲しみをよみがえらせてしまいました。

彼が亡くなって、もう2年・・・。

本当に好きだったんです、レスリー のことが!!!


話は6年前の夏休みにさかのぼります。

当時小6の息子を、2週間の大分でのサマーキャンプへ送り出しました。本人がアウトドア派だったわけでも、私が息子の鍛錬を望んだわけでもありません。

その前年の夏休み、市が主催する『少年の翼』で韓国にホームステイさせ、10日間の息子の不在に味をしめた私は、「2週間ならもっといいじゃん!」とばかりに、息子をたきつけ申し込みをさせたのです。


その間小3の娘と二人で、旅行をしました。

楽しかったですね、女同士の旅って。娘とは好みが一緒で、日常生活でも「~だよね!?」「そう!そう!」と話が合う仲良し親子ですから、旅先でも盛り上がりました。


そんな楽しい旅のさなかなのに、私はよからぬ事を思いついてしまいました。

「来年はこの子も小4・・・あれっ、小4からっていうキャンプの参加資格ができるじゃん!・・・ってことは、来年は2週間も私の自由になる時間が出来るの!?」


はやる心を抑えつつ、1年間かけてじっくり計画を練りました。

英語の勉強も、アメリカ人の先生に会話を、日本人の先生に英検対策を習うというダブルスクール体制をとる充実ぶりでした。そこで、このあたりで実地に試してみようとアメリカ行きを決意したのです。


『9日間アメリカ横断バスの旅』を見つけました。一つのバスに各国から集まった観光客が乗り合わせ、ホテルに泊まりながら皆で9日間の旅を楽しむというものです。ガイドはもちろん英語!一抹の不安もありますが、参加者の声のコーナーに、「英語が苦手な私でも十分楽しめました」と書いてあります。

まあ、大丈夫でしよう。しかし、ちょっと心配になった私はヒロちゃんを誘ってみました。

6月になっての私の急な誘いでしたが、ヒロちゃんは「OK」 即決、速攻、長距離移動が彼女の身上です。


子供たちのキャンプの申し込みも無事済ませました。

パンフレットに定員の25名を超える場合は、抽選とさせていただきますと書いてありましたが、去年もそんなことを書いていたのに、26名の申し込みしかなく、全員参加できました。

いまどきの小中学生は忙しくて、2週間も呑気にキャンプにいけるのはうちの子供達ぐらいですよ、ハハハ。


ところが、違っていたんです、その年は・・・。

申し込みこそ30数名だったのですが、主催者が何を意図したのか兄弟で申し込んでいる場合は、下の子供を落とすという暴挙に出たのです。

お陰で妹は、兄と同じキャンプにいけず、別のところを探すはめに・・・。

すぐに見つかりましたが、ずれていたんですよ、日にちが・・・。

2人同時にいない日は、5日間になってしましました(号泣)・・・。

ああ、アメリカが遠くへ行ってしまった・・・。


ヒロちゃん、ごめんなさい!

かなり怒っていた(←そりゃそうでしょ)彼女ですが、速攻で別の友達と台湾旅行へ出かけて行きました。

旅行社は、申し込みの時点で事情をきいて「では、仮押さえということにしておきます。キャンプがはっきりしてから、申込金を払ってくださいね。仮押さえならキャンセル料は結構ですから」と言ってもらっていたので、経済的損失はありませんでした。


でも、私の心にはぽっかりと穴が・・・。

なんとかショックから立ち直ると、英検対策教室でもらったパンフレットを、引っ張り出してきました。

『国内で英語キャンプ!~英語だけで4日間を過ごしてみませんか?』

これも最後の4日目は日にちがかぶります。先にキャンプに出かけた兄を、熊本まで迎えに行かなくてはいけない日です。


しかし、よく見ると4日目は午前中だけ、しかも場所は私の家から車で40分ぐらいの、志摩半島。

いま注目を浴びているエリアです。

「一般の方は入れない別荘地の、海岸沿いに立つコテージで、3泊。

 レッスンと食事は隣接のビラで、コックの作った豪華な食事を3食。

 ビラにはジャグジー付きプール。

 もちろん、ビラは貸切となっておりますから、ゆったりとバカンス気分お楽しみください」


最初に見た時は、アメリカ旅行で頭が一杯だった私ですが、傷心の今ではバカンス気分の文字が胸にしみます。

実際に参加してみてとても楽しかったです!

生徒は、中学の英語の先生やOLさんなど、私を含めて6名。それに、アメリカ人とドイツ人(英語を教えているのですが)の先生、サポートの日本人の女性、そしてコックさん。


6万円の参加費にしては、超豪華でしょ!物価の安い福岡ならでは(笑)

レッスンも日ごろそれぞれの教室で教えている先生方ばかりだから、わかり易くて楽しかったですよ。

昼間のレッスンを夜に回して、みんなで海やプールで泳いだり、遅くまでゲームではしゃいだり。

一気に独身時代に戻りました。

コテージでは、同じ年の中学の先生をしているかたと一緒の部屋でした。一応部屋でも英語で、と釘を刺されていたのですが、もちろん日本語で夜遅くまで話が弾みました。


そんな楽しい英語キャンプに参加出来た私でしたが、その前の空白の2日間jは何をしていたのでしょう!?

実は、全く何もせず前日からビデオを10本借りてきて、見ていました。

その中の一本にレスリーの『星月童話』がありました。

一目惚れしてしまいました。

次ぎの日は、近所中のレンタルビデオ屋さんに行って、レスリーのビデオを借りて5本ぐらい見続けました。

そういえば、寝不足で行った英語キャンプでもレスリーのことを口走っていたような(汗)


それからは、レスリー中心の生活が始まりました。

3箇所のファンサイトを毎日チェックして、情報を仕入れていました。

ネットでビデオやDVD、CDを買いまくり、携帯ストラップまで恥ずかしげもなく付けていました。

広東語を習おうと、教室を探しましたが、福岡では留学生が夜教えている所しかなく、本を買いこんでは独習に励む毎日でした。


そんな幸せな日々も、2年前の4月1日にストップ。

レスリーはまだ生きていて、バンクーバーでまた引退生活を楽しんでいると信じています。

だから、ファンサイトにもいかず、レスリーが自殺したと言う虚言にも、耳を貸していません。


寂しい私は、レスリーに似た人を見つけては一人でドキドキしてます。

最近ではジャズギタリストの小沼ようすけ さんが、若い時のレスリーに似てるのを発見!

かれのHPを瞬時にお気に入り登録へ!


マイナーなところでは、『ギターマガジン』に理論講座(ムダなく上達!宮脇流スマート・トレーニング)を書いているギタリストの宮脇俊郎 さん。

以前から息子に「宮脇さんの『市ヶ谷低音ゼミナール』はペースマガジンに連載されたもので、音楽理論書として凄くいいからぜひ読んだほうがいいよ」と言われていました。

でも、めんどくさいからその辺に置いていたのですが、彼の教則DVDを見ると、30代のレスリーが。

私の一番好きな頃です。おまけに、ギターまでかっこよく弾いちゃって!(←実際はレスリーじゃなく宮脇さんですから、当然です)


楽しみがまたまた増えました。理論書もユーモアたっぷりで、書き方が上手で、非の打ち所がありません。この本を読んで、理論を理解できない人は馬鹿です。まだ、読み終えてないから、強気です。


どなたか、レスリーのファンで彼はまだ生きているとかたくなに信じている方、お友達になって下さい。

       ↑

おい、おい、そうゆうブログか!?

見ると聞くとでは大違い

いつも私の思い出話風なブログを読んで下さる皆様、ありがとうごさいます。

人に見せる事を意識して文章を書くのは、久しぶりです。

結婚が決まってから仕事をやめて、一時期(10ヶ月)仕事をしたことを除くと、ずっと専業主婦をしています。専業主婦の割合は年々少なくなり、特に子供が中学生、高校生ともなると、平日にのんびりランチを一緒に楽しめる友達も減ってしましました。

インプットするばかりで、アウトプットすることが殆んどない、「いつもお客様」の生活は、それはそれでストレスのかかるものです。

ヒロちゃん(それなりの理由① に初登場の親友)は、私にいつも「貴女の生き方は私たち仕事を持つ女に対する挑戦よ。どんな生き様なのかじっくり見てあげるわ」と、怖いことを言いますが、私はけしてそんな大それた考えがあって専業主婦をしているのではなく、ただの成り行きなのです。

時々思うのは、『ヒロちゃんと旅行をして飛行機でも落ちたら、私の値段ってヒロちゃんに比べると随分安いんだろうなぁ』ということぐらいです。


私はお見合いで主人と結婚しました。いまどき、というより私たちの時代でもお見合い結婚なんかする人は、極端に少ないんですね。

娘が小4の時、どういう流れだったのか忘れてしまいましたが、授業参観の授業中に先生が「お見合い結婚されたかたは?」と父兄に聞きました。20人前後のうち、お見合い結婚したのは、私を含めてたった2人。もちろん当の先生も恋愛結婚だそうです。


独身時代の私はバリバリのキャリアウーマン・・・を目指す、ちょっとドジな編集者でした。

結婚願望など全くなく、『30までには何かになっていたい』が口癖でした

おばが持ち込んだお見合いの話に、当時、我が家を取り仕切っていたおばあちゃんがいたく乗り気になり、私のスケジュールなどお構いなしに、お見合いの日取りが決められていました。


お見合いの数日前にその事実を知らされた私は、「何言ってるの、仕事が忙しくてそんな暇ないよ」と抵抗をみせました。しかし、おばあちゃんの『女は結婚』の人生観を変えさせる努力をするより、1度だけ知らない人と夕飯を食べるほうが簡単だと気がつき、お見合いを承諾したのです。

それに、おばの話によると、相手はとても無口な人だとか。


私の好きなタイプは『憂いのある表情の無口な男』

当時の主人は仕事が忙しくて、疲れた表情でしたが、部屋の照明の加減によっては『憂い』に見えなくもなかったです。無口というのは、結婚するまでは確かに当たっていました。

結婚してみると、話好きの人でしたね。しかし、そこは私も、結婚に付随するサービスの一環として話を聞いてあげていました。


そして、私が「じゃあ、この辺で一度結婚でもしてみるか」と思ったのには2つわけがあります。

1つめは、当時私が担当していた『いま女性たちは』の連載。

カメラマンの後輩の女の子と2人で、いろいろな立場の女性を取材に行きました。そして、記事の最後に「理解のあるご主人、2人のお子さんとの4人暮らし」とかなんとか、プロフィールを書いていました。


後輩と2人で「やっぱこの1行がないと、正当に評価されないよね」

「独身だったら地位が高くなっても、そりゃそうでしょって思われちゃいますもんね」

と生意気な事を語り合っていたのです。

ですから、結婚したいとういうより、『いつか最後の1行を手に入れなきゃな』という思いがあったのです。


もう1つの理由。実はこちらの方が切実でした。

両親と住んでいた私は父の転勤で、1時間かけて新幹線通勤していました。

交通費は会社もかなり補助してくれてはいましたが、私自身の負担も重かったです。


それなら、いっそ一人暮らしした方がいいと思うでしょうが、当時は『一人暮らしするくらいなら、会社を辞めたほうがましだ』と思っていたのです。しかも、まずいことに何故そこまで一人暮らしが嫌なのか、自分でもわからなかったのです。


あまりにも怖いことって、人間忘れるんですね。

実は私は一人暮らししていた大学3年の時に、ストーカーにあっていたのでした。

その時はそんな言葉も知らず、ただ電気を消して息を詰めて暮らしていたのです。

『あの人は親切心で私の事を心配してくれているのだから。でも・・・』


3年生の終わりに、父が転勤で大学まで通える所に引っ越してきたので、家族と暮らすようになりました。

ストーカー対策としていきなり引っ越すのは有効らしいですが、結果的に私もその方法で平安をとり戻しました。そして、その人のことは100%完全に記憶から消えていたのです。

ですから、なぜ自分がこんなにも一人暮らしを嫌がるのか、不思議でたまりませんでした。


そのことを思い出したのはごく最近の事です。

ヒロちゃんからのメールの中に[そういえば、いつも貴女のアパートの前に立っていたあの人・・・]

[えっ、誰のことかな?]

[貴女いつもああ・・・って、ひいてたじゃん。部屋で騒いでたら、いきなりピンポンなって「今日は楽しそうだね」と言われたり。えっ、私、違う友達と勘違いしてるのかな?]  


急に記憶がよみがえってきました。

ヒロちゃんは私とは違う大学に進み、月に一度ぐらいしか遊びに来ないのですが、2人で部屋に帰ってみるとアパートのドアの前に立っていました。

他の人が遊びに来ている時も、よくピンポンと鳴らします。そして、ひとことドア越しに「今日は楽しそうだね」と言うと帰っていくのです。


ですから、日ごろは2部屋あるうちの外に電気が漏れない部屋にこもり、息を殺して暮らしていました。

しかも、今思うとかなり怖い状況なのですが、「親切に気にかけてくれてるのに、失礼過ぎるかな」と自分のほうを責めて、被害にあっているという発想は全くなかったです。


そんなこともありまして、結婚する前の私は「引越ししなくていい一人暮らしじゃない家」

それから、「パソコン」、出来れば「自分の勉強が出来る時間の余裕」が欲しかったのです。

一方、主人の望みは「白いご飯」 さっきも言いましたように、当時仕事が忙しくて、一人暮らしのマンションに帰るのは、12時ぐらい。

そうすると、近所で白いご飯が食べられるのは、お寿司屋さんぐらいだったそうです。それでは、経済的に大変です。しかも、主人はインスタント食品やコンビニ弁当が大嫌いで、ほとほと困っていたそうです。

私の家・パソコン・時間と、主人の白いご飯の要求を満たすべく、結婚することにしたのです。

結婚生活はとても、上手くいっていました。

なにしろ、相手に対する要求がシンプルでしたからね(笑)

それ以上のものが、与えられるともう、感謝、感謝でした。

それに、主人は私より11歳も年上でしたから、客観的にみれば、私のわがまま放題の結婚生活だったのかもしれません。


自分でも、結婚してから性格が変わった気がします。

それまで、ずっとつっぱっていたのに、なんか、のーんびり穏やかな人になったのです。

どちらかと言うと、こちらの方が本来の私のような気がします。


ですから、今日までのブログを読んでくださった人たちは、私の事をしゃきしゃきした人だと勘違いしていません?

実は連休中に始めたこのブログですが、ベースのK先生に宣伝していたら、読んでくださっていました。

でも、ブログに登場する私と、目の前のぼーっとした私では、ギャップがありすぎて、戸惑っていらっしゃるようでしたよ。


私の人生を熟知しているはずのヒロちゃんまでもが、「凄い、負けた気がする」とか変な事を口走り始めました。

これが、他のひとのブログを読む時にかかる《主人公とその他大勢の私症候群》ですね。

あ、いや、そんな言葉はなくて、私が今勝手につくったのですが(汗)。


人のブログは楽しそう、かつ、充実しているように見えて羨ましくありません?

実は私も、自分のブログを始めるまで、そう思っていました。

ヒロちゃんにメールで[私って、凄く不幸な女だと思わない!? 日本一と言い切れる自信はないけど、地域一番店の自負ならあるよ!!]とかいう、愚痴を書き送ったりしていました。


その原因は、K先生がやってらっしゃるバンドの方々のブログを毎日読んでいたせいなんです。

昨日の気分はミュージシャン でも書きましたが、バンドのHPからそれぞれの日記へいけます。

そこでベースを担当していらっしゃるK先生と、ギターのO先生(北九州でギターとベースを教えていらっしゃいます)が、毎日更新されてて、とても面白くためになる内容です。


音楽関係の話はもとより、将来息子が音楽で仕事をしたいと言っていますので、実際そんな方々の日常は興味があり、とても参考になります。

そんなこんなで、毎日楽しみに見ていたら「何だか楽しそう過ぎるなぁ。えっ、私が行きたくて仕方なかったのにいけなかったあのライブ、そこまで盛り上がったの!?」と、羨ましくなり、さっきのようなメールをヒロちゃんに送ることになってしまうのでした。


今年の連休は暇でした。娘が手を骨折していて、大して遊びにもいけませんでした。

あまりの暇さに思いついたのが「そうだ!また新しい英会話教室にも通い始めたことだし、私もブログでもしようかな」

お陰で、暇をつぶす事ができました。おまけに、ヒロちゃんにまで、感心されるなんて!


日ごろの私はお昼ね大好きのぐうたら主婦です。

我が家の自慢は、リビングのでっかいソファ! そこで、本読みながら、ビデオを見ながらうとうとするほどの幸せは、他にありません。

ヒロちゃんからの、[またお昼ねしてるんじゃない!?]のメール着信音で目を覚まし、[寝てなんかないって・・・そんなに長くは]と、大急ぎで言い訳メールを返信する毎日です。


こんな私だけど、これからもよろしくね!

気分はミュージシャン

昨日は 「 はじめまして。福岡のバンドを紹介しています 」 という Jackさん に読者登録していただきました。ありがとうございます。

早速hakataさんのブログにいってみますと、そこには、ミズノイロ のライブ告知が!

あまりの偶然に驚いてしまいました。

なにを隠そう、私がベースを始めるきっかけを作ったのが、ミズノイロのりなちゃんだったのです。



当時、中学生の息子は楽器店のお兄さん、S さんに心酔していました。

Sさんは 『子供にもわかる接客術 』 をマスターされている方で、エレキを始めたばかりの息子の幼稚な質問にも、面倒がらずに丁寧に答えてくださっていました。

ギターを試奏してくれる時には、スイープを駆使した早弾きで、さらに息子の心をつかむのでした。

そして、極めつけの一言は「ドラマーの俺は・・・」なんと、ブルースロックバンドのドラマーだったのです。


そんなSさんのドラマー姿を見ようと、親子でJAJA(西新のライブハウス)に出かけていきました。

その時、対バンしていたのがミズノイロだったのです。

りなちゃん、はっきり言って可愛かったです! 

「ベースっていいなぁ、いいなぁ!!」 


さらにベースを始めるのを、後押しする出来事がありました。

息子がボーカルレッスンを受け始めたのですが、その音楽学院の申込書に何故か家族を書く欄があり、家族がやっている楽器も書かなきゃいけなかったのです。

私、嘘を書いてしまいました・・・ピアノって。

ピアノは中学でやめたあと、実は大学時代にも一時期習っていました。

訳あって・・・はっきり言いますと、大失恋をしてしまって、なんとか立ち直るために一週間に7箇所のお稽古をこなす生活をしていました。そのうちの一つが、ピアノだったのです。


しかし、今ではいっさい弾いていません。そんな私が「ピアノ」と見栄をはるなんて・・・。

このままでは、精神衛生上よくない!そう感じた私は、早速ベースを買いに走ったのでした。

このあたりの詳細は、『ベース』 をご覧ください。


そんなベースのレッスンも、昨日から浜田省吾の 「 恋は賭け事 」 に入りました。

私がK先生にお願いして、自分で選曲させていただいたのです。

これには、訳があります。実は、息子に負けっぱなしなのです。

「 チョッパー早く習って僕に教えてよ 」 と一年前に言っていた彼でしたが、今ではバンドにベーシストとして参加しています。本業はボーカル、ギターなのに!


1年前に始めたドラムも初級を終え、今度から中級です。2年間習った私のベースは、まだ初級の半分!

何が違うのでしょう!? 歳? 確かに私がだいぶ年上ですが(←当たり前じゃ)、彼に比べてかなり練習できる時間があります。補えないわけはありません。


一番の違いは目的意識でした。

彼はステージにたって、賞賛の拍手を浴びる喜びを知っています。ですから、常に 「 ライブをやる時に 」 が頭にあり、そこから行動が始まるのです。


一方、私はと言えば、月に3回のレッスンを受けることだけで、大満足なのです。

ここで、ベースのK先生のことを少しお話します。

先生は、見るからに優しそうな穏やかな性格の方です。

W先生を失って(ベースのW先生のこと をご参照ください)、悲しみにうちひしがれる私の前に、後任の先生として現れました。

見た瞬間 「 わっ、優しそうなひと!」 そう察知した私は、挨拶もそこそこに 「 先生、私のこと褒めてくださいね!練習はちゃんとしますから 」 と、お願いしてしまったのです。

律儀な先生は、この一年半の間、毎回何かしら褒めることを見つけるのに四苦八苦しながら、私の無理なお願いを実行してくれています。


それだけでも、十分なのに、先生は凄いマルチプレーヤーなのです!!

ベース、ギターは本業ですが、ドラムも学生時代に習いバンドのドラマーをやっていただけあって、とても上手いらしいです。

私は残念ながら、先生がドラムをたたくのを見る機会に恵まれないのですが、私と同じところでギターとドラムを習っている息子が、発表会の合同練習で目撃しました。


スクエアーの 「 It’s magic 」 息子はギタリストとして参加しておりました。

ところが、ドラム担当の生徒さんが現れないのです。おまけに、ドラムの先生もその日は来ていらっしゃいませんでした。

たった15分の合同練習のために、沢山の人が集まっているのです。しかし、ドラマーがいないと曲がはじめられません。

「どうなるんだろう 」 皆が動揺し始めた時、先生がスッティクを手にすると、ドラムをたたき始めたのでした。


「凄かったよ!かっこ良かったよ!先生サイコー!」 家に帰ってきた息子が興奮した声で、一部始終を話してくれました。

先生は奥ゆかしい方で、今までドラムをされるなんて話は私も聞いていなかったので、驚いてしまいました。

この件以来、息子はすっかり先生のファンです。


そのほか、先生はピアノもお上手です。

レッスンはテキストの音源に合わせて私がベースを弾くと、先生がギターをいれてくれます。

でも、課題曲で、すぐには早さに追いつかない時は、キーボードで曲を弾いてもらいそれにあわせます。

もっとゆっくりやる時は、リズムマシンで即座にかっこいいドラムパターンを作ってもらいます。

メトロノームの無粋なクリック音とは違い、気分はミュージシャン!!


こんな風にレッスンだけで十分過ぎるほど楽しめるので、何かを弾きたいとか何かをやりたいという、ハングリー精神をすっかり忘れてしまっていました。

でも、息子の快進撃をみて、猛反省!

初心にかえり、何がやりたくてベースをやっているのかを、じっくり考えてみたのです。

最終的には、ホームステイ先のファミリーとセッションを楽しめる腕前になっていたいのですが、とりあえずの目標を立ててみました。


「大好きな浜省の曲なんか弾けるようになったら、最高!」

そう思い、先生にお願いして昨日のレッスンとなった訳です。


ちなみに、先生は腰の低い方でもあります。

よそで、先生の生徒さんは60人と言う話を聞き、昨日「先生凄いですね」と言ったところ

「いえいえ、凄いのは通ってくださる生徒さん方と、募集してくれる音楽教室です」との、返事でした。

私だったら、このブログで100回は自慢してるのに!


実は、ライブには女性ファンの姿も多いのです

先生もバンドのHPのコーナーで日記を書かれているのですが、掲示板に 「 先生、日記はやく~。もう眠いよ」 とか「今日も寝ずに待っていました」と書き込む熱烈な女性ファンもいます。


律義者の先生、眠い目をこすりながら毎日欠かさず日記をかかれてますよ。

たまには、アップされた時間が深夜2時、3時のこともあります。

ライブが終わられて、書かれているようです。

いやはや、人気者はつらいですね。

純文学 VS 動物行動学

いま 『4日間の奇蹟』 朝倉卓弥 ( 宝島社文庫) を、読んでいます。

最近、日本人の作家をまた、読むようになりました。

この3年ぐらいは、翻訳物のミステリー、特にリーガルサスペンスに凝っていました。

お陰で、アメリカの司法制度や州法の違いに詳しくなりましたよ。


私は、気に入ったものがあると、その作者の作品をすべて読み、影響を受けた人、傾向の同じ人と読み進めていきます。

それが、小説ではなくドキュメントやルポの場合もあります。


こうした読み方が癖になってしまったのは、大学の時文芸部に入っていたことが、強く影響しています。

クラブは、詩部門と創作部門(私はこちらに所属していました)に分かれ、週に2回、水曜日と土曜日に研究会が行われていました。

持ちまわりで担当し、事前に例えば『4日間の奇蹟』をやりますと、部員に知らせます。

全員が最低でもその本一冊は読んでおき、担当者の作ったレジメを中心に、創作技法や、作家に関する討論会を行うのです。


週に2回、全員参加。これは、かなりきつかったです。

もともと本好きの人間が本屋に行けば、研究会のための本以外にも、沢山買い込んでしまいます。

おまけに、創作部門の部員が皆いっせいに同じ本を買おうとするわけですから、行きつけの本屋になくて他を何軒か探し回ることになったりします。

そうすると目新しくて、また本を買ってしまうという悪循環です。

毎週、読まなければいけない本、読みたい本を十数冊抱えていました。


年に一度合同研究会もあり、創作部門、詩部門、つまり文芸部員全員で研究会に参加するのです。

担当者の準備は、いつもにまして大変でした。

オッホン、1年生でこの名誉ある大役を任された私は(実は面倒なので、1年生に押し付けられるのですが)安部公房をテーマにしました。

あんな、訳のわからん様なのが好きだったんです。


でも、徐々にテーマも変化し、『 男と女の価値観の違いー相容れないゆえの悲劇 』 が自分の作品の主題になっていきました。

会社に入っても、書く記事は 『 アジア 』 『 女性 』 がテーマでした。

『 いま、女性たちは 』 というベタな連載をやって、いろいろな立場の女性を取材したりもしました。

しかし、謎は深まるばかり。女とは?男とは?愛するとは?


そんな時、本屋で手に取ったのが竹内久美子『 そんなバカな!遺伝子と神について 』 (文藝春秋)でした。

彼女は、長年私が取り組んできた「人を愛するとは?」に、一刀両断、明快な解答を出してくれたんです。

遺伝子を残したいから。

人間を含む動物全てが、いかにすれば効率良く自分の遺伝子を残せるかを、行動の起点にしているという結論でした。

selfish gene (我儘な遺伝子)。

私達は遺伝子の命ずるままに、恋愛と名ずけた行動パターンによって、より効果的に遺伝子を残そうとしているのです。


長年の疑問が解けてすっきりしたました。

…すっきりし過ぎました。恋に熱中できなくなったんです。誰かを気に入っても 「 はい、はい。遺伝子の画策ね 」

誰かに好きだと言われても 「 あらあら、貴方、そんなに自分の遺伝子に自信があるの?!」

ついつい、遺伝子の企みというフィルターで、物事を眺めてしまうのです。

もう、宗教状態でした。…いえ、正確には今も、私のバックボーンですよ。

そんな訳で恋愛至上主義のような純文学は、私の中ですっかり色褪せてしまいました。


ところで、月9で 『 不機嫌なジーン 』 があっていたようですね。

脚本は「大森美香」となっていましたが、やはり原作は竹本久美子なのでしょうか?

誰か知っていたら、教えて下さい。

それなりの理由②

昨日の続きです。

皆さんこの24時間で素敵なラブストーリーを、考えてくれましたか?

なに? 「大げさな前ふりに限って、後の話はたいしたことない」って?

あはは、その通りです。そのビジネスマンとは、ちょっと立ち話をしたというだけのことだったんです。

でも、その後の英語への取り組みが全く変わってきました。

ですから、私にとっては忘れられない出会いだったのです。


まずは、そもそもどうして北京へ行くことになったのか、ということからお話しましょう。

私が経済誌の編集をしていた話は、それなりの理由① で、言いましたね。しかし、編集とは名ばかりで、メインの仕事は雑用&誰も読まないようなページの担当だったのです。


ですから、私が急にいなくても少しも困らないという、寂しい存在でした。

雑誌にタイアップはつき物です。旅行社から、経済特区を視察するという企画が持ち込まれました。

編集長以下、仕事を抱えていて忙しく、「第一、飯がまずいらしいよ」と誰も関心を示しませんでした。


私が入社の時「アジアに興味があり、中国語も勉強しています」と言ったのを思い出してもらったのか、はたまた「中国語教室に月謝は払っているけれど、ちっとも行けやしない」と愚痴っていたのが利いたのか、私に話がまわってきました。


大連と北京に行きました。

実は、行ってみると行き違いがあり、経済特区の視察が出来ませんでした。

なかなか繋がらない電話を、やっと日本にかけ窮状を訴えると、「いいよ、いいよ。北京動物園のパンダでも見てきたら」という、気の抜けるような返事でした。これだから、期待されていないって・・・最高です!


フリータイムの多いオプションツアーで北京へ足をのばしました。

暗記してきた『旅行者のための中国語会話』のフレーズを、公園で人に話しかけては、会話の練習です。

でも、こちらの言うことはわかってもらえている気がするのですが、相手の言うことはさっぱりわかりません。


大連のホテルはフロントに日本語のわかるスタッフが常駐していたので、困ることはありませんでしたが、北京では、たまたまかもしれませんが、いませんでした。

バスルームの苦情を言おうと『困った時のプレーズ』 のページを開いて必死に説明しますが、らちがあかず、最後にお互いブロークンの英語で、なんとか意思が通じました。

中途半端に中国語を話すと疲れる、とすっかり懲りてしましたした。


一泊した次の日、ロビーに降りようとしてエレベーターに乗っていたら、そのビジネスマンに声をかけられました。中国語で、途中いくつか聞き取れた単語もあった気もしましたが、全くわかりません。

困っていると、「Can you speak English ?」 と聞かれました。「 A little 」

急に目隠しを外された感じです。


香港から大量に資本が流れ込み、中国政府の政策を後押ししていること。香港のテレビが放送されたりして、思っている以上に、資本主義の影響を受け始めていること。

いろいろ教えてくれました。


私が夕べ、ガイドさんと一緒にホテルのディスコ(当時はクラブなんて言ってませんでしたよ)に行ったら、中国人の若者もいて驚いたことを話しました。

すると「以前は海外からの観光客専用で、高すぎて一般の中国人は入れなかったが、自由市場で儲けたごく一部の金持ちの子弟が出入りしている」といっていました。

いつも新聞で読んだり、雑誌で眺めていることを、じかに聞けて大感激でした。


その後、お茶や食事に誘われるということは全くなく、彼は時計を見ると慌てたように、足早に立ち去りました。

考えてみれば、エレベーターに2人きりで気まずくなって「ご旅行ですか?」なんてことを、言っただけなのでしょう。それを私が理解できなかったので、中途半端になるのも変だと思って、英語に切り替えたのです。

すると、張り切っていろいろ質問されてしまった、というのが順当な解釈のようです。


それにしても、英語は便利! アジアでは英語が共通語として使われているというのは、知識としては知っていましたが、自分で体験してみて実感が沸きました。

頼りにならない中国語は置いといて、英語を頑張ろう!!と、北京の空にかたく誓うのでした!!!


ところで、この話には私の勘違いが大きく影響していたのです。

「頼りにならない中国語」・・・いえいえ、そうではありません。

私の習ったのは、北京語をもとにした共通語。香港からやって来た彼は、当然広東語。通じるはずもありませんね。もちろん当時も、そんなことは、十分知っていたはずです。


実は、一般教養の第二外国語も中国語でしたから、授業の初めの「中国語と一口に言っても、大きく4つにわかれ・・・」という、初歩の初歩を忘れていた訳ではありません。

でも、悲しいかな、勉強の為に見ていた映画はみな北京語のやつで、彼の広東語はただ、聞き取れないとしか、感じなかったのです。


香港映画をたっぷり見たお陰で、今では北京語と広東語の違いぐらいわかります。

そもそも、中国語教室の先生の口癖は「中国語がもし漢字という表意文字じゃなく、表音文字だったら、ヨーロッパみたいに別の言語になっていたはずだ」 でした。


それから、結婚して子供が生まれ、英語の勉強も思うようには時間が取れなくなりました。

下の子が幼稚園に入り、また、英会話教室に通い始めたのですが、まあ、気晴らしの趣味程度でした。


そして、小学校に入るのを機に、『経済学を勉強しよう』 と母校で経済学部の聴講生になり、一年間授業を受けました。テストも希望すれば、受けることが出来ましたが、所詮聴講生は、聴講生。「やはり大学院で勉強したい」と、とんでもない野望を抱いたのです。


今は社会人入試制度というのがあり、こちらは論文と英語が受験科目でした。

英文科出身の私が受験できるのかはさておき、とりあえず、英語の試験にそなえようと、その日から猛ダッシュしました。

そして、未だに試験準備中です(笑)

正直にいうと、受験しようとしていたことも、あまり思い出さない毎日です。

だって、楽しいことが他にも目白押し。例えば、このブログとか。