それなりの理由①
今日は大学時代の友人由香ちゃんと、天神でお茶しました。
天神・・・いきなりローカルな話題に走ってしまいましたね。皆さんご存知ですか?福岡の博多、中州は有名だけど、天神は知名度低いかも。でも、私の一番好きなまちです。
岩田屋新館(地元のデパート)の8階にある『桜の雫』に、行きました。初めて行った時、桜が咲いていて感動しました。お店が8階のフロアー全体を占めていて、南側の庭に桜や桃、ツツジなどの木まで植え込んであるんです。
今年は桜が咲くのが遅くて、うちの庭の小さな桜を毎日まだかと気をもんでいたので、ビルの8階で桜が咲いているのを見かけた時は、嬉しかったです。お店の人の話では、桜も種類をいろいろ植えているので、1月から4月末まで楽しめるそうですよ。
今日はツツジが咲いていました。まだ咲き初めで、これからが見ごろでしょう。お近くの方は、一度行かれてみては?
そして昨日は、予備校の時からずっと友達の、ヒロちゃんのところへ遊びに行ってきました。
娘さんのブラスバンドの定期演奏会を見てきたのです。もう、涙、涙!娘さんが指揮位置に立った瞬間から「こんなに立派になって」と、涙が止まりませんでした。隣のヒロちゃんは心配顔で、泣いている余裕などありません。責任はないけど可愛くてたまらない存在って、いいですね。早く、孫がほし~い!
そんなこんなで、由香ちゃんやヒロちゃんと会って、気分がすっかり学生時代に戻っています。
今日は、私がなぜ英語の勉強にはまったのか、正確には、はまらざるをえなかったかを、大学時代あたりからお話してみます。こんなに長く勉強し続けるには、やはりそれなりの理由があるのです。
私は国語は大好きでしたが、英語は点数もそこそこで、勉強しなくてすむならしたくないのレベルでした。しかし、一浪していたので選択の余地はなく、合格通知をくれた大学が私の進路でした。
それは、私立大の英文科でした。
本好きで高校の時から小説を書いたりしていた私は、張り切って文芸部に入部しました。すると、同じ英文科の先輩が「英検取るなら、今!学年が進むにつれ、英語力が落ちていくものよ」とアドバイスしてくれました。
振り返ってみると、会話を除けば、確かに入試当日が英語力のピークだった気がします。
6月に英検2級を受けました。入試の余力があったのでしょう、1次に合格しました。
2次は試験官が2枚の絵を見せ、英語で質問し、受験者が答えるという形式でした。問題は5問ありました。
1問目は「Do ~display~?」 ディスプレイ、あの商品をディスプレイするとか言う単語です。誰でも知っています。
ところが、すっかり緊張していた私は 『 display? play に否定の接頭語のdis・・・わからないわ』
「No,~」 それを聞いた若い試験官は、困ったような顔をして「display,display,display」と繰り返すばかりで、なかなか2問目にすすみません。
仕方がないので、「Yes,~」と言い換えました。すると、にっこりして2問目へ。それ以降は、試験官の顔色を見ながら「Ye・・・No!No,~」と言った調子で5問目までこなしました。
結果は合格でした。ところが、一緒に受けた由香ちゃんは不合格でした。
まずいです。誰がどうみても、由香ちゃんの方が英語がうまかったのです。このままでは、私が美貌を武器に(←そんなものがあったとは思えませんが)、不正に資格をとったと思われてしまいます。
英検2級の実力をつけるべく、英会話教室へ駆け込んだ次第でした。
ところで、英会話教室に通ったからと言って、私が殊勝に英語の勉強に没頭した訳ではありません。
それどころか、3年になる頃には英文科に進んだことを、ひどく後悔しはじめていました。
世の中を知るには、経済学を身につけるべきだ。真剣に悩み、経済関係の本を読みあさりました。
『東洋経済』 『経済界』 『激流』・・・愛読雑誌でした。
これからは、アジアだ!と確信し2年生から習い始めた中国語教室のほうが、本命でした。
卒業後出版社に就職しました。採用は文芸誌の部門担当でした。
でも、アピールを繰り返し、なんとか経済誌担当へ潜り込みに成功。編集長につれられて、挨拶まわりをしました。その時相手は、新卒だと聞くと 「どちらの学校を?」「S大の英文科です」 「ほう、それなら英語はぺらぺらでしょう。国際派ですな」 ・・・『おじさん、S大の英文科出たぐらいで国際派になれるなら、誰も苦労しないよ!」 と言いたいのをぐっと我慢し、力ない愛想笑いを返していました。
しかし、こんな事がたびたびあると、何だか英語が出来ない私の方が、悪いような気にさせられます。
確かに地元では、「S大の英文科出は英語が出来る」との風評がありますが、これじゃ全くの風評被害です!
少し後ろめたくなった私は、『ENGLISH JOURNAL』 とテープを毎月買い込みました。
通勤電車で日経を読みながら、『ENGLISH JOURNAL』 を聞く・・・
私ってキャリアウーマンしてるじゃない!・・・単に自己満足の次元でした。
そんな私を、英語に引き戻す大きな出来事がありました。
それは、北京のホテルでの、香港からやって来たエリートビジネスマンとの出会い。
ああ、今後の運命やいかに・・・
・・・続きは、また明日!
tomatoma流英語習得術②
私の勉強法を大公開いたします。
《単語》
毎日必ずやるのが、携帯版の毎日こつこつeTango です。これは、広末涼子ちゃんが早稲田に入るとき英単語の勉強に使っていたということで話題になったから、ご存知の方も多いのでは。以前は無料でして、私はPCのサイトの方を利用していました。2年前に有料化し月額300円になりましたが、単語によっては例文もつくようになり、内容がさらに充実しました。
今は、携帯の通信料を定額にして、月額200円で携帯のサイトを利用してます。
携帯、便利ですよ。ちょっと時間が空いたときにできて、一日に結構数をこなせてます。総合とランク別のランキングが出て、競争意識を刺激されますね。
au ではトップメニュー→ライフ→ホームスタディで登録できます。他のメーカーをお使いの方はPCサイトから自分の携帯にアドレスを送れますので、上記の「毎日こつこつeTango」をクリックして、サイトに行ってください。無料のサンプル問題もありますから、興味のある方は試してみては。
そして、私のいちおしが、イーオンの完全無料の英語学習サイト「ぺらぺら」 です!
ほんとに無料で、しかも今までお金を出して買ったものより、優れもののソフトが満載。いつも、イーオンの回し者のように、人に宣伝しまくってます。
英語タイピングソフト「オザイオン」と、上記のeTanngo を組み合わせれば、もう完璧!!
オンライン学習とダウンロードして使うフリーソフト共に充実していて、他を全くやらなくてもここだけで、十分な勉強になりますよ。
無料でここまで素晴らしいサイトを作っちゃって、実際にイーオンに通う人がいなくなるんじゃない?、とひとごとながら心配しています。
単語の習得はなんといっても繰り返し。要は、どうやって飽きないように繰り返すことができるかですね。
アラン(tomatoma流英語習得術① 参照)がいつも言っていました。
「mother と due どちらが難しい単語だい?mother のほうが長くて発音も難しいのに、みんなdue のほうが難しいというね。それは、出会った回数の違いなんだよ」
私も単語を覚えるとき、『旬の単語』を感じることがあります。どこにいても、何をやってもその単語が私の前に現れるんです。本当は、それまでも見かけていたのでしょうが、普段は意識に残ることがなかったのに、何かのきっかけで自己主張しだし、記憶のひっかかりが増えて私のなかで知っている単語として定着していくのです。
皆さんも、何度も出会って単語を自分のものにしてください。私の出会いの場はおもにPCです。
ここで、お気に入りのサイトを紹介しておきます。
アルク 『ENGLISH JARNAL』などを出している出版社
「ヒアリングマラソン」も有名ですよね。私は試したことありませんが、やって成果をあげたという人も
いました。 要は、何でもいいから続けること。自分にあったものを見つけてください。
英語タウン こちらもかなりいいです。見てるとあっというまに時間が過ぎてしまいます。
The New York Times 昔は英語の雑誌を定期購読して、読めないまま放置し自己嫌悪の種にしていまし
たが、いやはや今は便利な世の中に(←急に年寄り口調)
言葉は本来、それが使われている生活圏に暮らして、自分に必要な単語を一つ一つ覚えていくのが、自然です。
でも、日常に使ってもいない言語を習得するのは、それはそれで上質のミステリーを読み解くような、知的な満足を得ることができます。英語が少し聞き取れるようになったとき、それまでぼやけていた視界が急に鮮明になったような、新鮮な喜びを感じました。皆さんもどうか、自分だけの感動を味わってください。
《文法》
文法は高校のとき英語の時間に鍛えられたので、正直その後苦労しませんでした。
同じ先生に3年間ならったのですが、旺文社の『よくわかる英文法』がバイブルでした。
不定詞、分詞、完了、時制の書き換えに関することは「それは、何ページの何行目に書いてある?」まで質問されました。今でも、書いてあるのが右ページだったか、左ページだったか覚えています(笑)
文法に自信のない方は、上記の「不定詞、分詞、完了、時制」だけでいいですから、じっくり取り組まれることをお薦めします。何年か前、本屋で『よくわかる英文法』を見かけ、戦友に出会ったような懐かしさをおぼえました(爆)。今はもっとわかりやすくてよい本が沢山でていますから、一度本屋に立ち寄られて、自分のレベルに合った参考書や問題集を探してみてはいかがですか。
日本人は文法に重点をおきすぎるとの批判が強いですが、公式を知らずに数学を解くのと知っているのでは、雲泥のちがいです。昔、学校で文法しか教えなかったのは教える先生自体が、他にネタがなかったからですよ。今は、学校の英語教育も格段によくなってますね。大人の方は、お子さんの英語の教科書や教材を貸してもらって、お子さんに教えてもらうのが一番かも。
我が家は今のところ、かろうじて私が教える側ですが、すぐに追い越されそうな気配を感じて戦々恐々です。
《リーディング》
読み書きに関しては、私は語る資格がありません。本棚には洋書のペーパーバックがずらりとならんでいます。日本でも本屋をはしごするタイプですが、海外に出たときも本屋に寄っては「わー安い!えっ、これまだ日本では翻訳されてない分だわ、なのにもうディスカウント!?」と大喜びで買いあさり、トランク一杯に買ってきます。でも、最後まで読み通したのは、ほんの数冊。
そんな私ですが、なんとか読めるように頑張ってはいます(急にテンション落ちちゃいましたね)。
メルマガが勉強の中心!
いや、世の中素晴らしい人が多いですね。先ほどは文法書の購入を勧めましたが、買うのは本当に一冊だけでいいですよ。あとは、あなたにタダで英語を教えてあげようというありがたい人たちが、手ぐすねひいて待っています。
それに、メルマガはしばらくサボっていても、削除してしまえば本棚の本たちのように私を責めたてることもないので、精神衛生にも最適です!
私の愛読しているメルマガを紹介しますね。
毎日1分!英字新聞 私は偶然発行当初から読んでいるのですが、今では10万5千部!!人気の程がわ
かろうというものです。目のつけどころがいいんですね。狂牛病なんか日本で全く取
り上げられない前に、注目して記事を追っていましたよ。携帯版が出ないかと心待ち
にしているところです。
映画で広がる英語の世界 こちらも映画好きの私には欠かせないメルマガです。紹介された映画をビデ
オ屋さんにかりにいくことも多いです。また、自分で以前見ていてきずいた事
が書かれていたりすると、気分はもうすっかり英語の達人。
クリスの英会話レッスン とてもためになりますね。いつも「へえー、知らなかった!」状態です。
ひとこと学園 よりどり、みどり、お好きなものをどうぞという感じです。ほんとに、タダでいいんでしょか。
学校では教えない本当の英会話 まさにタイトル通り、5つ星メルマガがそろっています。
一分で直る!あなたの通じない英語 読み始めて3ヶ月ぐらいですけど、いま一番のお気に入りかな。
つかえる英会話 これは最初にご紹介した『1日1分』の方がやっているのですが、他にも同じ会社の方が
だしてらっしゃる『アメリカンジョークに習え!』もかなり面白くてこちらで登録できます。
以上、私のお気に入りをご紹介しましたが、メルマガも自分のレベル、関心にあったものを選ぶのが長続きするこつです。メルマガの会社は 『まぐまぐ』 『めるま』 『めろんぱん』 『カプライト』と沢山ありますから、労を惜しまず、自分に合うものを探し出してください。絶対お得です。
さてさて、私の日常やっている英語学習の内容をご紹介しましたが、少しは参考になったでしょうか。
偉そうに書いて、リンクを多用したものの、皆さんのほうが先に利用してらっしゃるのではないかという気もしています。
逆に、面白いものがあったら教えてください。コメントお待ちしています。
MAY BRIGHTさん、『楽々単語取得法』というリクエストだったけど、役にたちそうですか?
『ぺらぺら』の「オザイオン」はだまされたと思って一度やってみてください。「単語道場」も同じところで、ダウウンロードできます。実は、私もずっとはまってます。何が楽しいかって、ねこちゃんが「悩みはいつも人間関係」なんて声かけするのがたまらないんですよねぇ!!
tomatoma流英語習得術①
読者登録していただいた方から、『tomatomaさんは英文科を卒業しているんですね。どうやって英語を勉強しているのか教えてください』という、メッセージをいただきました。ありがとうございます。
では、ここにtomatoa流英語習得術を大公開!・・・と言っても、何も目新しいことは、無いんですが(汗)。
まず、英文科卒業→英語が出来るという、誤った観念を頭から取り除いてください。学費を出した親でさえ、そんな妄想は抱いていません。(何のこっちゃ!)
私が英語の基礎を学んだのは、大学時代に2年間通った街の英会話教室でした。
アメリカ人の兄弟2人で運営していましたが、アランは日本語が完璧でした。弟のゲアリーは片言ぐらいかな。週に2回、自分の好きなクラスを選んで、45分×2レッスン受けるというシステムでした。アランがクラス選びのコツをこういっていました。
3つのレベルから選びなさい。1つ目は自分のレベルに合ったクラス。ここで、一番実力がつきます。
2番目はレベルが少し低いクラス。レッスンは物足りなく感じるけれど、そこで以前よりかなり出来るようになった自分にきずき、自信を持つことが出来ます。
3つめは、レベルが高いクラス。所々わからなくて、自分はまだまだという気になり、気を引き締め直すきっかけになるでしょう。
ポイントは刺激を受けながら、続けるということですね。
何のお稽古もそうでしょうけれど、現在地を知らせるナビがあるわけでもなければ、通過地点でポイントがつくような、お楽しみもありません。それを自分で工夫して見つけるのが、長続きのこつです。
私がその後通ったECCもレッスンを選べましたから、教室選びのチェックポイントの1項目にしてみては?
アランの教室で得た最大の成果は『音声学(phonetics)』を学んだこと。
「子供は素直に聞こえてきた音をまねるけど、大人は頑固になって聞こえている音を自分の耳が聞こうとしない。だから、理屈で納得しないといけないんだ」とは、アランのセリフです。確かに私も音声学を学んでから、早口にしゃべっていると思っていたネイティブの英語が、実は日本語と同じで音自体を省略して言っているのだとわかり、単語一つ一つがクリアーに聞こえるようになりました。
具体的な例を挙げましょう。
d の音は舌の位置が同じなので t に変わりやすいです。有声音より無声音のほうが労力が少なくてすみますからね。これをアランは「舌が怠ける」と表現していました。
それから、t や h の音が消えることもしばしばです。the や to は文章中に頻出しますが、特に意味を強く持たせる必要がなかったら、ァ 程度の発音になります。he はィ 、her は アァ(巻き舌)に。
I want to → 「 ァイワナ 」 t と n も舌の位置が一緒で、そのままにしていて、そのあと to の ァ がきてこうなります。英語のペーパーバックとか発音のまま書かれていて、何の単語だい?っていうのは、よくありますね。「ァイワナ」 と 「アイウォントツウ」 発音してみてください。音の長さがぜんぜん違うでしょう。
「外人は早口」の秘密はこれだったのです。
ここで重要なポイントが2つ。
英語が上手くなる途中では、こういう音の省略に自然にでも気ずきます。ところが、言ってないわけではないのです。息をつめる間合いで、音を感じさせるというか。
アメリカ人と結婚して長年アメリカに暮らしていた女性が話していました。「言ってないと思ってまねしたら、前よりもっと通じなくなってしまった」
それから、部分的に出来るようになった、例えばさっきの「ァイワナ」を会話に使うかどうか、という問題。
日本に住んで英語を教えているアメリカ人の先生に聞いたら、自分は日本では「アイウォントツウ」でやっていると言ってました。私は、時と場合ですね。言葉は通じてこそ意味があるもの。英会話教室では「アイウォントツウ」、海外では向こうが私を英語が出来ると勘違いせず、子供に話すようにゆっくりと旅行者向けの英語を使ってくれているときで、話が弾んでいれば「ァイワナ」かな。
このように『音声学』は英語聞き取りの重要アイテム。ぜひ、どこかできちんと勉強してください。
でも、どこで勉強したらいいかが結構問題なんだよね。
本屋さんにもその類の本は沢山置いてあるけど、例の口と舌の絵とかがかいてあるやつで、わかりにくかったな。実は、大学4年で音声学があって(もっと早く教えろよ!)、その教授が書いた本を使ったけど、アランの手作りテキストの方が、わかりやすかった。
お陰で、発音には少し自信があります。
3年前に行ったオーストラリアでは、「Your English is very nice!」の賞賛の声をいろんな人からかけられましたし、「アメリカかカナダに留学していたの?」とまで言われました。いえいえ、日本で長年、地道に勉強しただけです。
【重要なお知らせ】
娘にいつも「お母さんはお世辞という言葉を知らないの?」と言われます。
はい、私は褒められた言葉は額面どおりに受け取ります。少しでもマイナスのイメージを含む言葉にたいしては、その人がそんな言葉を口にしなければいけない、追い詰められた心理や背景を深く考慮し、私のほうには何ら問題は無かったという結論に達することがほとんどです。
だから、私の自慢話は、話半分に聞いといてねっ!
学校ではどうでしょう。息子の中学の英語の授業参観に行った時、軽く教えていました。
前述のECCでは、カナダ人の女性講師1人だけが、d → t とかホワイトボードに書いて説明していましたが、英語だったので初めて聞く人は、わかりやすかったでしょうか。
このあたりが、最初は日本人に習ったほうがいいと言われる、ゆえんかもしれませんね。
どこでやるにしろ、教える人の個人的能力にかかっていることが多いです。
ですから、私は大手の英会話学校は例のB・・・・・・と、ECCしか行ったことがありません。
最初に書いた『英会話学校の正しい選び方 』と重複しますが、自分は何の為に、どんな英語を習いたいのかをはっきりさせるのが、一番大事です。
そこから、では何をどんな風に勉強していくのかがわかると思います。
私の場合はとりあえず会話ができて、映画やテレビが神経をすり減らすことなく見れるようになりたい、という目的を持っています。新しい英会話教室にも通い始めましたが、教室は刺激を受け、日ごろ勉強していてわからなかった所を、習う場所にすぎません。勉強は自分でこつこつやるものです。
今日覚えて欲しいのは、話したり聞いたりできるようになりたいなら、『音声学』を必ずやること。
明日は、具体的にどんな勉強をやってるのかをお話します。
・・・えへっ、今日はちょっと偉そうでしたね。昔、教育実習に行ったときのモードだったよ。
melocotonさん、こんなもんで、良かったですか?
皆さんもリクエストあったら、どんどんくださいね!
ピアノ②
次の試練は合唱部の伴奏でした。
全体の伴奏は3年生がやるのですが、3年生だけのコーラスもあり、その時には2年生が伴奏するのです。
大田先生に「伴奏お願いしておくわね」と軽い調子で楽譜を渡されました。
家に帰って伴奏譜を見ると、気は重くなるばかり。もともと実力が無かった上に、レッスンもやめていますから、全く自信がありません。
翌日「難しすぎるうえに、バレーボールでつき指だらけで満足な練習も出来ませんから」と断わりに行きました。
でも、先生は「大丈夫、大丈夫。来年の予行練習のつもりで、気楽にやってよ」と受けつけてくれません。
「来年の・・・」その言葉が、より一層私の心を沈ませました。
必死で曲をしあげたものの、地区の合同合唱会の一週間前、高熱を出し声が全く出なくなって、学校を10日間休みました。
風邪がきっかけでしたが、声が出なくなったのは、極度のストレスのせいだったようです。
伴奏をせずにすんだのは良かったのですが、申し訳なさでいっぱいでした。
登校してお詫びの言葉を重ねる私に、先生は「来年があるから、あなたもがっかりしないで」とまた力強く励ましてくれるのでした。
結論を言うと、『来年』はありませんでした。
太田先生がご家庭の事情とかで退職され、3年生のときは、非常勤の先生が音楽を担当しました。
顧問のいなくなった合唱部は、廃部になりました。あまり、先の心配はするものじゃありませんね。
それから、楽しいと思えないことは、やり続けてはいけないという教訓もしっかり身にしみました。
以上が、なぜ私がピアノを嫌いになったかという、悲しい思い出話です。
私にとってピアノは、常に出来ないことを強制する、嫌で仕方ないものでした。
でも、ベースに出会い、また音楽の楽しさを取り戻しました。
ところで、ここからはピアノとは関係ないのですが、孝一君にかけられた最大の迷惑エピソードをお話しします。
2年の終わりに次期生徒会の会長、副会長選挙がありました。
おだてられたのか、脅かされたのか孝一君は選挙に立候補し、当選しました。けれど、副会長の女子も選挙で決まった訳ですから、私には何の被害もないと、たかをくくっていました。
ところが、彼が私の所にやってきて、「生徒会役員の会計お願いするよ」と、とんでもない話をもちかけました。
そうです、会長、副会長が役員4役のうちの、書記、会計を決めてよかったのです。
長年の付き合いで私の悪筆を知っている彼は、さすがに『書記』というと私の逆鱗に触れると思い、『会計』を言い出したのでした。でも、結果は一緒!即答で断わりました。
しかし、私の役員入りは彼の次期政権の構想に最初から組み込まれていたらしく、いつもはぼーっとしている孝一君も、今回ばかりはしつこく粘りました。
あげくには、生徒会担当の先生から「Nさん、困るな。早く『会計になった抱負』の原稿出してくれないと、学校便りがだせないんだよね」と、しかられる始末です。
ピンチでした。そんな時思いついたのが、女子バレー顧問の橋本先生!
先生は風紀担当で学校中の生徒から怖がられていましたが、私はその厳しさが大好きでした。
生徒会役員とクラブの部長は兼任できないのが不文律になっていましたから、『チームの柱である私が生徒会のことなんか言い出したら、逆にたしなめられるのがおちね』と、自惚れながら職員室に向かいました。
しかし、意に反して先生は「うん、聞いてるよ。頑張ってくれたまえ!山下さんも書記をやるそうじゃないか。二人も役員を出すなんて、バレー部としても鼻が高いよ」と意外な反応です。
山下さん、そう、合唱部のとき私のお付き合いで入部した彼女は、幸一君の「Aちゃんが会計だから」に騙されて、早々に書記を引き受けていたのです。
「でも、先生、私は1年、2年と学年のキャプテンをやってきました。3年も頼むとチームの皆に言われているんです」と食い下がりました。
そんな私に先生のつらい一言。「キャプテンは寺尾さんあたりでもいいんじゃないかな」
寺尾さんは2年生から入部したのですが、頭角を現し私とメインのセッターを争っていたライバルでした。
・・・『先生は、4月からのチーム作りを寺尾さん中心で考えているんだ』・・・そう悟った私は、黙ってその場を去りました。
実は、橋本先生、4月からの事なんか、何も考えていなかったのです。4月になると、生徒指導の手腕をかわれ、教育委員会へ行ってしまいました。後に残ったのは、勘違いして会計を引き受けてしまった、間抜けな私だけでした。
例年なら生徒会の仕事も、さほど大変ではなかったと思います。
ところが、私の通った中学校は私たちを最後に3校が統合して、翌年から新しい学校が出来ることになっていました。ですから、生徒会の仕事は、通常の運営と、学校を閉めるにあたっての諸々の整理、そして、お節介な事に、新校の生徒会規約作りまであったのです。他の2校の生徒会役員と日曜に集まって、何度も会議を重ねました。
しかし、そんな事は序の口!
一番苦しめられたのが、ベルマークの整理。ベルマークってご存知ですか?
息子たちのときは、グリーンマークとか言ってましたね。文房具を初め、食品からあらゆる雑貨にいたるまで、値段に合わせて、ポイントのマークが付いていたのです。
個人では応募できず、学校で集めて、ポイントに応じて備品をもらうシステムでした。
小学校のときから、せっせと集めては、学校に持っていっていた記憶があります。
集められた後、どうなっていたか知ってましたか?
すくなくとも、私の中学校では無造作にダンボールに放り込んで、生徒会室の隅に放置していました。
一年かかりました、一枚一枚台紙に貼って、品物を手にするまでに。ポランティアをつのりましたが、誰もやりたがるはずもありません。毎日昼休み、生徒会室に集まっては、役員4人で内職のように、黙々と作業に取り組んだのです。
晴れて高校になったとき、やはり、孝一君と同じクラス。
お互い知らない人が多く、しんとしている中、「○○、また同じクラスやね」と彼が私の席に近ずいてきました。○○は、私のニックネーム。ただし、ごく少数の女子と孝一君が使っているだけでした。
私はそう呼ばれるのが、嫌でたまらなかったのです。同じ中学から来た女子にはきっちりと、「高校では○○とは呼ぶな」と申し渡していたのに!
積もりに積もっていた怒りが爆発しました。その日から完全シカト。もともと本が好きでいつも読んでいたのですが、さらに寸暇を惜しんで本を広げ、彼が近ずいてきても、「邪魔しないで」という冷たい視線をむけるだけでした。作戦は成功し、3年間一緒のクラスだったはずなのに、彼の記憶は一切ありません。
でも、・・・
大学になって、初めて高校の同窓会がひらかれました。男子がやたら物珍しそうに話しかけてきます。
「Nさんと、初めてまともに話したよ」
「いつも、本を読んでいて、バリアが張ってあったから近ずけなかったね」
「女子としか話さないから、男が嫌いか、馬鹿にしてるのかと思ってた」
・・・えっ、そうだったの・・・
道理で、ちっとももてなかったハズ!
私の青春を返して!!
ピアノ①
私と音楽の出会いはピアノです。
小学3年生の時、『小学校の先生になりたい』と思いました。そのとき、「教員の試験にはピアノもあり、バイエルぐらい弾けないといけない」と聞き、親にピアノのレッスンに通わせてくれと、せがんだのでした。
将来の為に何かを習う・・・発想が今も一緒です。進歩してませんね(笑)
バイエルを終わる頃には、将来の夢も変わっていましたが、ピアノは習い続けました。もともと音楽が好きで始めたピアノではないので、微妙な関係でした。お稽古は、始めるのは簡単ですがやめるタイミングに悩みます。
先生も3人変わりました。最初の先生は幼稚園の先生。3、4年生の二年間を習ったのですが、自分の中に目的意識もあり、結構がんばりました。お友達と一緒に通っていて、とても楽しかったのを覚えています。
5年生になってすぐ、その先生が遠くへお嫁に行ってしまいました。それを機に友達はピアノをやめたのですが、私は中途半端な気がして、中学の音楽の先生をしていた石田先生に、続けて習いました。
今考えると、石田先生はとてもユニークな人でしたね。世間知らずのお嬢様が、そのまま大人になったような感じでした。
音大の声楽科出身でしたが「本当はピアノの方が得意なの。でも、バレーボールをやっていたから、ピアノはあきらめたわ」とおっしゃっていました。ドイツ人の先生に3歳から習っていたというピアノが、どれぐらい上手いのかは当時の私にはわかりませんでした。
ただ、鮮やかに覚えているシーンが、一つだけあります。レッスンの初日、「ピアノだけじゃなく、ソルフェージュもやって、歌の練習も取り入れていきましょ」とおっしゃる先生に、一緒に来ていた母が「実はこの子は音痴で歌は・・・」と困惑していました。すると、「まぁ、お母様、世の中に音痴なんておりませんのよ、ホホホ。」と艶やかに笑ったのです。・・・確かに音は聴き取れるようになりましたが、私は相変わらず音痴です。
実は、先生は私が通うことになる公立中学の先生でした。公務員である先生がアルバイトでピアノを教えてよかったのか疑問ですが、当時はおおらかで中学生もかなり習っていました。
私も、小学生で習っている時は意識しなかったのですが、中学生になると困りました。
入学してみるといきなり担任でした。「普通こういう場合は外さないか!?」と中学生なりの常識で考えてみました。連休前後は家庭訪問の時期でしたが「Aちゃんのお母様にはピアノのレッスンで何度もお会いしてるから、Aちゃんは家庭訪問なしでいいわね」・・・教室で朝の会の時、聞かれてしまいました。男の子が「えーっ、俺のかあちゃんにも、入学式で会ってるはずだ!俺も家庭訪問なしがいい!」と突っ込んでいました。しかも、他の生徒は苗字で誰々さん、誰々君なのに、私だけAちゃん。レッスンと学校は切り替えて欲しかったです(汗)
先生の宣伝のお陰か、秋の合唱コンクールでは、私がピアノの伴奏をすることになりました。
私は、そういうのが一番嫌いなのです。もともとピアノが好きで習い始めたのではなく、資格の一つとしてレッスンを受け始めたのです。発表会は衣装を考えてはしゃぐ母の手前もあり、しぶしぶ出ていましたが、何が悲しくて、合唱コンクールの伴奏なんか。
でも、それだけなら、傷は浅かったと言えます。
先生は合唱部の顧問でした。地味で部員が集まるのかと思いきや、先生は裏技を使って、盛大に運営していました。クラブ活動が昼休みなのです。もちろん、放課後は他の部活に参加できます。
入学式の次の日、先生に言われました。「私のレッスンに通っている生徒さんには、自動的に入ってもらうことになってるのよ」
・・・知らなかった!しかも裏では、私の友達に「Aちゃんが入るから、一緒に参加してあげて」と強引な勧誘作戦にでていました。
昼休みは食事も消化せぬままに、発声練習。放課後はバレー部。それも、一年生チームの部長でした。
ちなみに、合唱部に友情入部したお人よしの山下さんは、副部長です。
ところで、気ずいたことがありました。私と同じ学年でもう二人、女の子が石田先生のピアノに通っていましたが、合唱部に強制加入はされていませんでた。・・・断われたんですね・・・そりゃそうでしょ、自由の国日本ですものね・・・。
石田先生は、無敵!そう思っていたのですが、一年生の終わりに東京へ帰っていかれました。
「声楽をもう一度やり直したい。セミプロで、もまれる覚悟です」と言い残して。
ここで、3人目の先生の登場です。
私も、石田先生の退場を機にピアノをやめればよかったんですが、例によって中途半端な気がして。
結局3人目の先生には、2回しかレッスンを受けませんでした。名前も覚えていません。
どうしてそんな事になってしまったのか!?
実は、2回目のレッスンの時、帰り道で迷子になってしまったんです。3箇所目は今までみたいに先生のご自宅ではなく、楽器屋さんでした。少し遠くなったのですが、生活圏内。それまで何回か行ったこともありました。
ところが、私の特技は知ってる所でも迷子になれること。昼間レッスンに出かけた私が夜になっても帰らず、家では大騒ぎでした。「警察に連絡しようと、電話の受話器を持ったとき帰ってきた」と母が涙ながらに語っておりました。
「ピアノは疲れるから嫌だ」知らない道に迷い込んで散々ウロウロして、出した結論は「ピアノをやめよう!」ということでした。
ここで私とピアノの縁が切れれば、めでたしめでたし、だったのですが世の中そう甘くありません。
2年生になって、音楽の後任に大田先生が赴任してこられました。
先生は石田先生とは正反対の、元気度100%の愉快なおばさんでした。こっそり合唱部をやめようとしていた私の肩を、「よろしくね。一緒に頑張っていきましょう!」と思いっきりたたいて、励ましてくれました(涙)。
2年生が一番つらい時期でした。
石田先生の所で習っていた峰さんも、同じクラスになりました。小学3年からピアノを始めた私ですが、峰さんは幼稚園の時からならっており、天性のものもあったのでしょう、私とは比べものにならないぐらい、ピアノの名手でした。
「これで、大丈夫!!」秋の合唱コンクールは峰さんが伴奏してくれるはずです。去年も違うクラスで伴奏をして、とても同じ曲とは思えない素晴らしい演奏でした。
すっかり安心していた私に、人生の不条理を思い知らせる出来事がありました。
「じゃあ、合唱の伴奏はNさん(私の旧姓)ですね」とまともな議論もないまま、あっさり申し渡されてしまったのです。
『じゃあ』という結論はどこから導かれたのでしょう。それは、孝一君が指揮者にさせられたからです。
孝一君は無類のお人よし。学級委員、実行委員その他もろもろ、やらされていました。
中学生になって、そういう仕事はなんだかかっこ悪いとみんなが思い始め、人のいい
孝一君に押し付けていたのです。
それを、のんきに引き受けるのは本人の自由だから、私がとやかく言うことではありません。でも、孝一君と私はなぜかセット扱いされていたんです。彼とは幼稚園の年中さん以来、高3まで14年間同じクラスでした。当時、男子が長、女子が副が学校の常識でしたが、そこにもう一つの常識『孝一君が長になったら、副はNさん』が加わっていたのです。
合唱の伴奏を何とかこなした私に、次なる試練が待っていました。
長くなりますので、続きはまた明日。
写真はフリージア。
去年の秋、娘が同名のフリーソフトのゲームにはまっていましたので、球根を植えてみました。
ベースのW先生のこと
ピンク(カタログで注文して、実際に届いたのは限りなく赤に近い橙色)のプレベを手にした私は、さっそく張り切って、ベース教室に通い始めました。
もともとお稽古大好き人間ですから、ベースをやろうと決めた瞬間、ベース教室はどこにしようかな?と考えたのです。
無事教室も決まり、30分の個人レッスンを受け始めました。
最初の日はドキドキ。エレキベース・・・さすがに私も歳を考えました。これが、大正琴や三味線ならいざ知らず・・・いや、そこまで歳では(怒)
でも、W先生はとても優しい先生で、最初のレッスンから楽しくて仕方ありませんでした。
実は、息子に少し習っていたのですが、もう、怒られるばかり!!
その点、W先生は優しくて、おまけに褒め上手。褒めの業師!わざとらしくなく、かつ、琴線に触れるような、一言二言で元気百倍の、
高等褒め術を駆使されるお方でした。
歳はまだお若くて、どこであの技を会得されたのか、不思議でした。
もちろん、口先だけのプレーボーイタイプとは程遠く、誠実さを感じさせる落ち着きもありました。
実際に、親切な方でもあったのです。
「レッスンの時間が都合の悪い時は、事前に言ってもらえれば、曜日や時間をその日だけ変更してもいいですよ」
数々のお稽古をこなしてきましたが、そんなの初めてです。
それから、こんなこともありました。レッスンに行くのに高速を使い、駐車場に停めるのも含めて30分ぐらいかかるのですが、ある日、高速の料金所の手前で、パンクしてしまいました。
さすがの私もその日のレッスンをあきらめ、先生に「今日は車がパンクしちゃったので、お休みします」と電話で連絡しました。すると「次のレッスンまで3時間ぐらい空いてるから、パンクが直ったら、ゆっくり来て下さい」との、返事でした。今思い出しても感謝、感謝です!!
しかし、W先生はどうしてあんなに、親切かつ、女の扱いがうまかったのでしょうか?
私が出した結論は『きっと奥様が、美人なんだけど大変なわがまま女で、毎日機嫌をとるうちに、あれほどの高等褒め術を身につけられたに違いない』ということでした。何事も日々の積み重ねが大事です。
ところが、W先生の奥様が、MCと楽器の演奏をされているライブを見る機会がありました。
その時は知らなかったのですが、後であれがW先生の奥様だと聞いてビックリ!!!
確かに可愛い方ではありましたが、MCもいい感じで、とても私が想像していたわがまま女には見えませんでした。
では、なぜW先生はあんなに褒め上手で、女の扱いに慣れていらっしゃったのか!?
その大疑問を解くカギが、一番最初のレッスンに隠れていました。
テキストの音源をダビングしたMDを渡してくださるとき「MD知ってますか?」・・・えっ、いまどきカセット使っている人、いるのかしら?
さらに「欠席の連絡は、メールでいただけるとありがたいんですが。メールやったことありますか?」・・・・・
完全におばあちゃん扱い・・・・・・
そんな歳ではないのに・・・・・・・・
W先生は、敬老精神にあふれ、年寄りの扱いがうまい方だったんですね(苦笑)
おばあちゃん子だったのかしら?
そんなW先生とのレッスンも、8ヶ月しか続きませんでした。音楽教室をお辞めになることになり、先生が代わってしまったのです。『これでもう、誰も私を褒めてくれる人はいなくなる』と思い、とても悲しかったです(涙、涙、涙・・・・)。
ところが、後任のK先生!この方がW先生に輪をかけて・・・、おっと、話が長くなりそうなのでK先生のお話は次の機会に。
〈冒頭の花は庭のトレリスに這わせたクレマチス〉
ベース
福岡では一昨日の夜、正確には昨日の早朝にも余震(震度4)がありました。
3月20日の最初の地震(震度6)から、一ヵ月後の大きな余震(震度5)と、その間もなかなか治まる気配がありません。
良くも悪くも、少し地震なれした感じです。
初めての地震の時は、かなりのパニック状態でした。
揺れが収まった後、私の頭に最初に浮かんだのは『レスポールは大丈夫!?』
実は、息子が2本目のエレキギターを買うとき、楽器屋の店員さんによくよく注意されました。
「以前買われたストラトと違って、今度のレスポールはとても割れやすいです。
落としたら、もうアウト。
それから、見たとおりネックがボディより後ろに出ているから、とこにでもいきなり置かないでください。
それに、レッカー仕上げだから、ゴムや皮にくっつけて置いておくと、塗装がはげてしまいますよ」
と呪そのような、取り扱い方法!
以来、我が家ではレスポールは女王様。
細心の気配りでお相手してきました。
もっとも、当時中学生の息子のギターにしては、ギブソンUSAは女王様扱いしたくなる、値段でもありましたが・・・。
女王様のご無事を確かめた後、次に自分のベースを見に行きました。
こちらも、大丈夫。
私も、息子の影響で、2年前からエレキペースを始めたんです。
きっかけは、息子のお供でライブハウスに行った時、可愛いベーシストを見たことです。
ギター、ドラム、ベースのスリーピースバンドの中で、女の子が一人大きなベースを抱えて、頑張っていました。
ストラップにはちょっと大きめのぬいぐるみをつけて。
「いいなぁ!お母さんももう少し若かったら、ベース始めるのに!!」
隣で見ていた息子は、その後の展開を予感していたのか、あきらめた様にただうなずいていました。
一ヵ月後、楽器店で
「ベースください。ピンク色のベース!!」
とはしゃぐ私の姿がありました。
「はぁ、ピンクですか・・・あの、種類は?プレシジョン、ジャズ・・・」
「何でもいいから、とにかくピンク!」
結局、カタログで取り寄せて、ラルクのtetsuモデルのプレシジョンベースを手に入れました。
「大きすぎませんか?ショートスケールだと、弾きやすいですけどね」
と言った店員さんの危惧を、毎日実感しながら元気に練習に励んでいます。
ベースもミツバチ生活では大事なアイテム。
以前下見のため、カナダに11日間ホームステイしました。
そして、ホームステイが私の
ミツバチ生活にはぴったりだと、確信して帰ってきたのです。
ただ、難点がひとつ。
洗濯以外の家事一切から解放され、遊びまわる毎日。
時々、暇になります。
好きなお芝居でも、見に行こうかと思ったけれど、それにはさらなる英語の力量が必要です。
その点、音楽はMCだけ理解できればいいし、聞き漏らしたからといって、その後わからなくなる心配もありません。
いまどきホームステイは、滞在する家庭も選べます。
音楽をやってるファミリーをみつけ、一緒にセッションしたりしたらかなり楽しいはずです。
その日を夢見ながら、ベース教室に通ってレッスンに励んでいます。
ポール・アンカ
先生は日本に来て1年半の、22歳のアメリカ人。スタイルはベン・アフレック、顔はディカプリオ、知性的な話し方はマッド・デイモン(私の好きな男優ベスト5のひとり)!
授業中、好きな音楽のジャンルが話題になりました。
サックスをやっている先生はジャズ。30代で小1と幼稚園のお子さんがいるMさんは、高校生の頃英語の勉強のためビ-トルズをきていたとか。私は浜田省吾!ジャンルも何も無く、だだ浜田省吾!
もう一人の生徒さんは、60代の男性。とても博学な方で、単語の語彙力も半端じゃありません。そんな彼も「やはり演歌ですね」
それを聞いた先生は、おもむろにホワイトボードに向かいPaul Ankaと書きました。
ポール・アンカ。60年代のアメリカ人気ミュージシャンですが、原音に近い言い方をすれば、ポール・エンカ。先生が日本に来たばかりのとき、「日本人は演歌が大好き」「カラオケの締めはやっぱ演歌でしょう」(英会話の授業の中なので、英語で)と言うのを聞いて、エンカ?ポール・エンカ!本国では下火だが、日本でこんなに愛されていたなんて!!と、しみじみ感動したそうです。
地名、人名など原音とはだいぶずれているものが、日本で定着している例はかなり多いですね。
マクドナルドとマクダァナルは、よく引き合いに出されます。このカタカナ英語が、日本語を勉強する外国人泣かせだそうです。
逆を考えてみれば、わかりやすいかもしれません。
カラオケは英語でカリオキと発音します。たとえば、知り合ったアメリカからの留学生(彼は一般の日本人以上に近松門左衛門や松尾芭蕉に詳しい)から、「最近、カリオキどうですか?」と聞かれたら。
「えっ、仮置き?」「ええ、カリオキですよ。嫌いなんですか?」
「あ、いや、その・・・」「驚いたな、カリオキの嫌いな日本人がいるなんて」
ちなみに、私はカラオケが嫌いです!
oddな印象
ケンの話をします。
初級第一課のレッスンを受けていた私に、「こんなレベルで楽しい?」と聞きました。「楽しくはないけど・・・、レベルチェックのとき聞き取れなかったし・・・」と口ごもる私に、「不満があるなら、抗議しなさい!」
結局、彼が学校側に交渉してくれて、第六課に特進しました。と言っても、現在完了のあたりでしたが。
そんなこともあって、私がケンを気に入ってるのを察知されたのか、それとも単にローテーションの都合なのか、その後、彼のレッスンを受けることが多くなりました。
彼は、2歳のとき両親が離婚して、日本人の母親は日本に帰ってしまい、アメリカ人の父親に育てられました。20歳で京都に来て、以来ずっと日本で暮らしていました。再会した母親も5年前に癌で亡くなってしまい、私が習っていた当時は、福岡に引っ越してきたばかりで、一人暮らしをしていました。
一方、私はと言えば、2年前に夫を癌で亡くし、6歳の娘と9歳の息子と一緒に両親と暮らしていました。
そんな寂しい二人にロマンスでも芽生えれば、私もここで自慢できるのですが、実際は人生相談をするだけの地味な関係でした(笑)。
その頃の私に夫、主人、旦那様、父親はNGワードでした。うっかり口にしてしまうと、その後24時間は落ち込んでいました。
ましてや「子供たちを一人で育てていく自信がない」とか「夫が癌と宣告されたとき、一緒に死にたかった。子供を道ずれにするわけにもいかず、ぐずぐずしていたら告知どおり三ヶ月で亡くなってしまった。子供たちのせいで、今は仕方なく生きている」なんてことは、意識にのぼらせることも出来ませんでした。
ところが、英会話は不思議なものです。
英語で受け答えするのに精一杯で、建前を取り繕う余裕も無く、感情のままを言葉にしていました。
しかも、相手のケンは2歳で片親と離別し、大切な人を癌で亡くしていたので、私には最適なセラピストでした。
「父親の役をしようとしないで。最高の母親がいれば、それで十分さ。父がエプロンをして、僕のためにクッキーを焼くのを見るのはつらかったよ」
この言葉は、今でも私の子育ての指針です。
ケンとは本の話もよくしました。
アメリカのカレッジで日本文学を専攻していた彼は、日本の作家にも造詣が深かったです。安部公房や村上春樹がやはり人気だそうです。
「新しい人も読みたいな。誰か推薦してくれないかい?」そうたずねる彼に「伊集院静!」を連呼していました。
『機関車先生』の作者と言えば、今ではすぐにわかるでしょうが、あの頃は、白血病で亡くなった夏目雅子の旦那様と説明したほうが、とおりがよかったです。
映画の話をした時のことです。ふと、聞いてみました。「18年も日本にいるから、日本語は不自由なく話せて、映画を見たりもするんでしょ?」考えたら、ケンと日本語で話したことはありません。
すると「それが、日本語を話すのは嫌だから、あまり出来ないんだ。映画も途中でついていけなくなる」と、意外な答えでした。
「えーっ、どうして!?」と驚く私に、「だって、下手な日本語を話すと、oddな印象を与えてしまうからね」
odd(変わった、異常な、奇妙な≪strangeより突飛さを強調≫)ですって!
確かに外国人が片言の日本語を話すと、滑稽な印象を与えます。
では、英語が下手な私もodd? 愛する人を亡くした悲しみの物語も、熱く戦わせた文学論もoddな女のoddな話? そう問い詰めようとしたとき、レッスン終了のチャイムが鳴りました。
「Next time(またねっ)」爽やかな笑顔でそう言いながら、ケンは教室を後にしました。
それ以来、彼とは会っていません。oddな生徒たちの、oddな英語を聞くのが嫌になって学校を辞めてしまったのか、はたまた、ローテーションの関係なのかわかりません。
お陰で私は、それからずっとoddの呪縛に取り付かれ、馬鹿にされない発音をすることに心血を注ぎ続けました。
oddの呪縛がとけたのは、後にカナダで出会ったロバートから「話し方がcute(可愛い)」と言われた時です。
Thank you,Robert!
英会話学校の正しい選び方
学生時代から数えて7箇所目です。殆んど2年ずつぐらい行っていますから6×2・・・あわわ、歳がばれちゃう。同時に2箇所に通っていた時期もあることを、あえて付け加えておきます(汗)。
今日は英会話教室フリークとして、正しい英会話学校の選び方を伝授いたしましょう。
まずは、私の失敗談からお話します。今思い出しても頭にくるのが、B・・・・・・。ええ、あの企業研修が強くて、名前の発音も途中のRLに苦労する、有名な外国語学校です。
実は憧れていました。英文科の学生だったころ見学に行きましたが、授業料のあまりの高さに断念。
後年、晴れて米語コースを受講することが出来ました。最初にレベルチェックを受けて、初級第1課からのスタートです。
直前まで行っていたE・・では中級クラスでしたが、仕方ありません、ここは天下のB・・・・・・先生方が手加減しないのでしょう、英語がとても聞き取りにくいのです。
一般的に教材用のスピーチは速度を遅くし、会話学校の先生は外国人向けにわかりやすく話すので、実際の生活でネイティプスピーカーと話すと、なかなか聞き取れないというのは、よく言われることですから。
テキストの最初はThis is a pencil. 笑っちゃいますが本当の話です。今どき中一の教科書でも、もっと気が利いていて口語的なんですけどね。
レッスンは3人の先生がアトランダムに受け持っていました。それぞれに聞き取りにくく、一度わからなくなると膠着状態で、レッスンの終わりをひたすら待ち望む有様でした。
そんなある日、ケンが初めてレッスンしてくれました。日本滞在歴18年のアメリカ人です。
会話が弾み楽しかったです!雑談で盛り上がってしまいした・・・アレッ、どうして急に英語がわかるようになったんでしょう?
確かにケンは憂いのある表情と落ち着いた話し方(私の好きなタイプのキーワード)、でもそんな邪まな感情だけで英語力がアップするものでしょうか?
疑問解決のヒントは『滞在歴18年』と『アメリカ人』。
今まで習っていた先生方はフランス人とドイツ人、そして日本に来たばかりのニュージーランド人だったのです。当時の私は母国語のくせのある英語や、オーストラリアやニュージーランドでは普通の、Aをアイと発音するやり方(good day グダァイ)に慣れていなかったのです。
また、日本に来てどれぐらいかというのも、大きなポイントです。お互いに未知の物を英語で話すのは,
至難の技。日本人同士でも抽象的な事など、日本語でさえ相手に説明するのは苦労することがありますからね。
母国語のくせは慣れたら、逆に楽しいです。まだ、はっきり何語と判断できるレベルには達していませんが、大体中国人、韓国人、日本人、スペイン語系、ヨーロッパ系(サンプルが少ないので、細かい国分けはまだまだ)となんとなく、わかります。
それから、一口にアメリカ人といっても、生活環境、地域、出身グループによって話し方が変わるのは、洋の東西を問いませんから、言葉は難しく、だからこそ面白いですね。
外国語学校の先生を出身国別で、給料支払いにランクずけをしている学校があるという話も聞きました。酷い話です。
会話学校を選ぶ上でのポイントは、自分が望む英語を提供してくれるかどうかです。
まあ、先生の英語の差を見抜けるようになるまでに、時間とお金がかかるのが実情ですが(笑)